昨日は昼間から彼といる時間を作れていた。朝のぎこちない会話が気になりお昼も誘ったからだと思う。
一緒にいる時間を確保できると心のざわつきや、ささくれだった感情は落ち着いていくことはわかっている。
ただ、ざわつく内容によってやはりいるだけでほぐれることもあれば、会話をしてお互いの気持ちを相手に伝えないと解決しないことは多い。恋や愛に限らず、人との関係構築はいつだってそうだ。
相手の気持ちを慮ることは大事だけど、それだけでは解決しないし本当の意味で寄り添うことも出来ない。それはもちろん言葉を不要とした関係値においても同じことだと思う。
どこかでは相手の気持ちを聞かないと”本当の気持ち”には触れられないと思う。
彼の車で家に向かう。部屋に入り、冬の寒さに震えながら、暖房が効かぬうちに2人で肌を寄せ合った。彼の手はまだ冷たくて、私の手はもっと冷たい。2人で寒さと温かさを分けっこしていた。この時間が一番愛しくて、紛れもなくお互いのためにお互いが存在していることを感じられる心が満たされていく時間だ。
そのあと、お腹がすいたので、何もない彼の家で何とかあり合わせのごはんを作った。2人でのんびり食べながら、彼が地域紙を手にして、私のとりとめのない話を聞いているふりをしていた。
私は心の底から癒されていくのを感じていた。彼がありのままでいることがうれしかったし、私も”私”でいる時間はとても心地いい。
帰るころには、私の感覚は”行ってきます”に変わっている。どうして彼はこうも私を女の子にしてしまうのだろう。出会ったばかりの頃からそうだった気がする。人に気づかれないようなスマートな優しさとそれでいて図々しさがうまく融合していて、彼はきっと女の子にモテてきたんだろうなという想像は容易い。もう妬いたりはしないけど。
彼と丁寧におやすみのキスをして、「行ってきます」と車を降りた。
そして今朝彼に「おはよう」ではなく、「ただいま」と言って抱きしめた。2人でコーヒーとパンを食べながら昨日の幸せな時間を反芻する時間はさらに愛しい時間となる。何度抱きしめても、何度キスしても全く足りない気持ちになる。この”足りない”という気持ちは、愛で心が満たされてるから生まれるのか。それとも”彼が枯渇している”が故なのか。いくつになっても知り得ない謎だなと思う。
ちなみに、塩パンが一番おいしい。答えはいつだってシンプルなのかもしれない。
▼ この日の “もうひとつの視点”
2025年12月5日(金)晴れ -隣に座る-

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